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ヨット・モーターボートの雑誌『KAZI』に掲載されていた拙著「たかつき総合研究所」は、ヨットやボートにまつわるさまざまな話題を深く追求するという理念の元に、約5年間に渡って連載されてきました。
古くは、「たかつき電脳研究所」として、当時はまだ出たばかりのGPSに関する話題から始まり、ヨット上でコンピュータを使う、なんて話題等々、海の上の電脳遊びを追求。後に、もっと広く話題を……と「総合研究所」に変更されたというわけ。
その連載も、『KAZI』誌の誌面大刷新に伴い、2001/6月号をもって連載終了となりました。

と、書き出して、あれからもう6年以上たつのですなぁ。
月日が経つのは早いものです。自己紹介のこのページも、書き直さなきゃ。

 

ワタシはいったい何者なのか?

本名:高槻和宏
ペンネーム:無し

昭和30年5月2日生まれ    東海大学海洋学部船舶工学科卒業

職業:ライター
主に、ヨット雑誌で記事を書いています。本やビデオも出しています。こちらを参照ください。

妻と2人暮らし。


ヨットは学生時代からやっておりますが、卒業後もヨット界でフラフラ。当時は「ヨット乞食」と呼ばれておりましたが、フリーターのはしりですね。
冬は志賀高原でスキースクールのインストラクター。山から降りると箱バンを改造したキャンピングカーもどきで日本を放浪。ヨットの回航屋やらヨットの修理やらをやって飯を食っていました。そうそう、トラックで陸送もやっていたなぁ。ヨットの陸送ね。選挙事務所で働いた事もあったしなぁ。いろいろやりました。

そのうち、日本の名艇<サンバード5世>の乗組員として、シドニー〜ホバートレース、パンナムクリッパーカップ(現ケンウッドカップ)等を転戦。
当時は日本から走って行ったものです。 つまり、その時太平洋をヨットで一周したことになります。

帰国後、3年ほど三浦半島は和田長浜海岸にあるディンギー置き場「リプルセイリングクラブ」で働きましたが、結局再び回航屋として独立。売られた船を走って運ぶ、という商売です。
今度は友人と株式会社「海童社」を立ち上げ、回航ばかりか、海やヨットをからめたカタログやCMの撮影スタッフとして、あるいは、ヨットレース等のイベント運営なども手広く行っていました。
この頃は良く帆走りました。日本の太平洋岸はもう走りまくりって感じで、ハワイ〜日本間の航海は毎年。全部で4回。その他にもグアム〜東京、グアム〜香港。日本〜上海等々。
まさにバブルの頃だったんですねぇ。景気がいいってのはこういう事をいうのでしょうか。

ヨットレースは<エスメラルダ>にて。
チームとのかかわりは、1990年のグアムレースに当時はまだJ/33という小型艇に乗り込んだのがそもそもの始まり。
その後、トリップ36、ILC40。或いはワントナー、43フッター、J/24等、常にエスメチームでレース活動を続け、オーナーヘルムでのマム30クラス、あるいは、グランプリメンバーで50ft艇にてアメリカのレースを転戦してきました。そのあたりのくわしいことは「海のお話」でどうぞ。

ヨット・モーターボートの雑誌『KAZI』に記事を書くようになったのは1991年から。その後姉妹誌『クルージングワールド』にも書くようになったわけです。
『たかつき電脳研究所』はその後、『たかつき総合研究所』となり、また、『おたくのキャビンにおじゃまします』『日本全国地レース振興会』『日本海道記』等では日本全国を回り、各地のセイラーの方々とお目にかかることができました。『平成ヨット塾』『クルージングの王様』等のノウハウもの。あるいは『シーマンズ・ロウ』等いろいろな連載をやらせていただきました。特集物もいろいろありました。

そんなKAZI誌の取材がきっかけで、ニュージーランドのタウンソン32という船の存在を知り、その美しい姿に感激。中古を探して購入してしまいました。

それがこれ。<ガルフ・クレスト>。オークランドを取り巻くハウラキ湾岸の王様、というような意味で、ちょっと大げさすぎるのですが、艇名を変えるとバッドラックだ、と前のオーナーに言われたのでそのままで乗っていました。が、発音が難しいので苦労しましたね。

gcbayjpg.jpg (24796 バイト)
海での生活では、釣りは重要な食料の確保でもあるのですが、その釣りの師匠である加藤敦に言わせると「ニュージーランドにいてフライフィッシングをやらないてはない」とのこと。で、フライフィシングを始めました。
まだまだ新米ではありますが、そのあたりの奮闘ぶりは「川のお話」をご覧下さい。

自転車はなんとなく乗っていたのですが、ヨットレースの為の体力づくりのために気合いを入れて乗るようになり、そのうち自転車そのものにも愛着が湧いてきて、女房と一緒に良く乗っています。
自宅の周りはもちろん、車に積んで山梨やら静岡やら、飛行機に積んで北海道からニュージーランドまで。
たまたま、<エスメラルダ>のオーナーも自転車好きだったもんで、なんだか盛り上がっています。そのあたりの話題は「山のお話」をご覧ください。

遊んでばかりもいられません。
クルーワーク虎の巻』、『セールトリム虎の巻』、『セーリングクルーザー虎の巻』と、虎の巻シリーズがヒット。現在書いている『ナビゲーション虎の巻』とその後に控える『ヨットレース虎の巻(ルールと戦術)』の5部作完成を目指しております。
隠れた名著(手前味噌)『ヨット用語ハンドブック』も是非見てみてください。読み物としても面白いです。

と、ここでオイラとしてもけっこういい歳になり、現役レーサーはちょっとキツくなってきました。書く方は、楽しくてしょうがないんですけどね。
ヨットレースの方は、遊びで乗るなら別ですけど、お金を貰って乗るのはねぇ
ということで、2007年8月をもって、20年ちかく乗ってきたエスメチームを引退させてもらう事にしました。

当面はマレーシアで暮らします。海、山、とアウトドア暮らしが続いたので、ここらでちょっと都会暮らしも経験してみようと思い、大都会、クアラルンプールです。
(2007/10/17記)


KLのマンションからの夕景。初めての都会暮らしです。アウトドアは、しばしお休み……かな。別のページ作らないとダメかな。

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