「ワタシのパーティー論」
ヨット仲間の結婚式で、ミシガンに行って来た。
新郎新婦の両親が持つ夏の別荘が共にミシガンにあって、ここに、双方の友人達を集めて、夏休みプラス結婚式アンド披露宴ということなのだ。
1週間くらいに渡って、毎日ゴルフ、釣り、パーティーとこってりとした内容。やっぱりアメリカは好景気で、おまけに新郎新婦共、両親がけっこういい家。披露宴なんか、高級ゴルフクラブのクラブハウスにて、100人くらいご招待。
とはいえ、衣装に凝ったりはしないんですね。ここんところが日本人の披露宴との一番の違いかな。
じゃ何が中心なのかというと、知らない人と話す、始めてあった人と会話する、というのがパーティーの主な目的みたい。
これ、ヨットレースのパーティーでもそう。会話を楽しもう、というのが、欧米のパーティーなのだ。<アメリカ式ケーキカットの図。アメリカのウエディングケーキはかように小さい。ディナーが終わって、これからデザートというタイミングでケーキカット。当然といえば当然である>
僕なんかあまり知らない人との会話を楽しむという習慣がないので、いささかこういうのは苦手である。これ、語学力の問題ではなくて、会話することに関する習慣の違いではなかろうかと思うわけです。基本的に、他人ととりとめのない話をする、というのが苦手なんだと思う。これ、僕だけじゃなくて、日本人の多くはこういうの苦手なのではないかしらん。
ではなぜか? これは、日本語の問題ではなかろうかと思うわけですよ。
日本の敬語には、かなりきちっとした決まりがあって、これは日本の自慢すべき文化であるともいえるけど、ともすると、他人との間に壁を作る結果にもなりかねないのではなかろうか。
たとえば、同じ位の年代の人が始めて出会った時、お互い敬語で話すのが日本の常識。でもこれは「敬語で話している限り、我々は相手に心を開いていない」ことの証でもあるわけ。敬語で話しかけるということ自体「あくまで、社交でつき合っておりますからね。そこんとこ勘違いしないでね」といっているようなもんではなかろうか、と思うわけ
名前の呼び方だって、日本語では決まり事が多い。階級やら僅かな年の差なんかで、「さん」を付けたり、「君」だったり、呼び捨てだったり……、厳格に決まりがある。年下でも階級は上ってな場合に困るので、会社では「吉田部長」等という呼び方をするわけだ。芸能界なんかはこのへんさらに困るので、「鈴木ちゃん」みたいに、年齢差をあいまいにした呼び方をしたりするんだと思う。
つまり、日本語では「やたら馴れ馴れしくしてはいけない」という決まりがあるんですね。で、日本では敬語を使って知らない人同士がうち解けるのは、なかなか難しいんですね。
たとえば、地方の小さな漁港で、老漁師に出会う。ここで、「どうですか? 釣れますか?」と敬語で問いかけるってのが都会人の常識。だけど、これだと他人行儀。「じいちゃん、釣れた?」と声をかけたほうが、ずっと自然ではあるまいか。
逆に向こうにも敬語で答えられるより、土地の言葉で気さくに返事して貰った方が親しみ感じるでしょ。
友人の結婚パーティーでは(こいつ、アメリカズカップのクルーだったにもかかわらず)ヨット関係の出席者は少なかったんだけど、唯一、同席したアメリカヨット界の大御所、デイブ・アイリッシュ氏とは、多いに話が盛り上がった。
我々がこれから乗ろうとしているマム30に乗っているという共通の話題があったからなんだけど、これ、相手が同じ日本人だったら、おそれ多くてあんなにお話できないと思う。当然敬語を使うわけだから、非常に堅苦しい会話になるわけ。
でもここでは、英語だからこそ気兼ねなく話せたんだと思う。合っていきなり「デイブ」「タカ」の仲だもんね。「ロン」「ヤス」の仲ってのもあったなぁ。
ああ、そうそう、合ってすぐに相手の名前を覚えて、会話の前か後に名前をプラスってのも、英会話の特徴であろうと思われます。これも、親しさを増す秘訣かもね。
日本では、ヨットレースの後のパーティーがあまり盛り上がらないのは、知らない他人との会話を楽しむという習慣が元々ないからだと思うわけです。だから、仲間内のパーティー(というか飲み会)的なものは盛り上がる。参加者が多くなってくると、そうでもなくなってくる。という感じがする。
これ、身に染みついたものだから、そうそうは変えられないんだよなぁ。
<デイブ・アイリッシュ氏ご夫妻。アメリカヨット協会の前会長。で、現役のマム30セイラー。99年のキーウエストでは堂々8位。走らせ方聞いちゃったもんね。来年はキーウエスト行くもんね>