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「引退試合」

日本に戻ってから、なんだかダラダラなエスメラルダチーム。いよいよ迎えたパールレース。紀伊半島から油壺までの180マイルです。
オイラ的には、当初の予定通りのコースを引いたので、悔いは無し……のIRC着順1位で修正4位。鳥羽レースで勝つのは難しいですね。優勝の<ガイア>(シドニー36)、2位の<クレージーナナ>(ファー34)には脱帽です。特にシドニー36は、KAZI誌でもレポートしましたが、シンプルで全長の割に速い良い船だと思います。このてが、これまでIMSやORCクラブでは不当に高いハンデを科せられていたわけです。で、IRCの時代だぞ、と。

ま、ファーストホームの<ココリン>(エリオット16m、ORCクラブ)は別として、総合着順2着を<ラッキーレディー>(セイヤー42、ORCクラブ)にとられたのは痛かった。
大島沖で、完全にぶち抜いたと思ったのですが、フィニッシュ直前(ホントにあと1時間)の所でベタに捕まり、その時東からまくられてしまったのでありますね。
フィニッシュラインで前を切っていった艇がいるのは見えたのですが、もう真っ暗だったので最初はどこのどいつか分からず。いや、絶対に抜かれるとはつゆにも思っていなかったのですよ。不覚!!

パールレース艇上にて。だらけているように見えますが、結構マジメに走ってます。

さて、KAZI誌10月号の記事では、こうたんが参加艇減少についていくつか理由を挙げて考察しているけれど、はたしてどうでしょうか?
面白いレースだったら、陸路の便が悪くても、1日くらい余計に休みをとってでも参加すると思いませんか。わざわざ休みを取ってまで出るようなレースではないと思われているところが問題かと。

では、「わざわざ休みを取るほどのレースではない」と思わせてしまう原因は何なのか。
まずは「スタートラインをもっとちゃんとして欲しい」と思っている参加者は多いと思いますよ。
今年は、フリーのポートタックでのスタートというもの。これは、風向に関係なくスタートラインを設置するからで、一昨年の艇長会議でも「昨年のスタートラインはひどかった。あれでは衝突の危険があるから、ウエザーマークを打つなりなんなりの工夫はしてくれないものか」という質問というか要望が出ました。
でも、主催者側からはつれない返事。で、今年のように北よりの風になると大変な事になるわけです。

いえいえ、以前KAZI誌にも書きましたが、たとえばジャパンカップというのは、日本一を目指すチームにとって絶対に参加しなくてはならない選手権試合ですから、きちっと国際ルールにのっとって競技を行って貰わなくてはならないのですが、パールレースのようなローカルイベントは何をやろうが主催者の自由。文句を言う筋合いはないわけで、嫌なら出なければいいんだから。
でも、あんなこと毎年毎年続けていたら、しだいに参加艇が少なくなるのもしかたがないかと。

クラブスワン42は、かなりちゃんとしたキャビンを持っており、しかし、かなりパワフルなリグを備えて高速走行を可能にしているのです。なんだかコンセプトがよく分かりません。家族とのんびりクルージングに行くにはセールの上げ下げは手強いし、かといってレースに出るにはキャビンが使いにくい。写真のようにレースセールを置くともう窮屈で。

このテーブル、船を買ってから一度も使ったことありません。じゃまなだけ。フォクスルへ行く通路も狭くて、巨大なゼネカーを入れたバックなんて引っかかっちゃって移動しにくいのなんの。

となると、本文に挙げたシドニー36に見られるようなシンプルな内装が、このての用途には合っているように思えるのです。価格的にもお手頃だし。

で、我々もパールレースのスタートではぶつけてしまい、船腹に50センチ位の穴が開きました。幸いにも相手艇の損傷はたいしたことはなく、こちらもガムテープで塞いで走りきりましたが、B旗をフィニッシュまで掲げておかなかったというミスで、話はうやむやに。ま、オーナー同士で円満に解決したようなので、今は昔のお話ですが。

さてさて、たいしたレースが無いなぁと嘆いているところで、8月お盆に下田から油壺までの相模湾縦断レースがあるという事で、いそいそ参加。
8/12にシーボを出て下田まで回航。13日には石廊崎の沖で前座レース。夜は民宿でチャンチキおけさでありまして、14日に下田をスタートして油壺フィニッシュと、真夏の暑さの中でなかなか楽しいイベントでした。
ま、こちらのスタートラインもひどかった。今後もこのレースを盛り上げたいなら、スタートラインはちゃんとする事をお勧めしますけど。
風に向かって直角にラインを引くというのは、最も安全に公平に多くの参加艇がラインを切るためには必要なのです。特に参加者のレベルが低いほど、ラインはちゃんとした方が混乱が少ないと思います。

で、このレース、エスメチームはファーストホーム、修正優勝を勝ち取り、メデタシメデタシ。


こちら、矢部さんが撮ってくれた写真。キーウエストの時のもの。マストヘッドから展開する巨大なゼネカーが特徴的です。 ゼネカーは悪くないですよ。(photo by Y. Yabe)

で、実をいうとこのレース、オイラの引退試合だったのです。
1990年のグアムレース以来17年間、エスメラルダチームでレース活動を続けてきましたが、オイラも今年で52才。もうお金を貰ってヨットに乗る歳では無いと。若い者に道を譲ろうと、このようなしだいで。

ま、遊びでヨットに乗ることはあるでしょうし、KAZI誌の記事はまだ書き続けますが、レースの第一線からはひとまず引退です。この際日本からは一旦脱出。2〜3年は海外生活を続けてみようかということになったわけです。

なんて言いつつ、植松オーナーからは、「マレーシアに住むの? ランカウイレガッタ出てみようと思うんだけど、チャーターボート探しといてよ」ですと。

ハイハイ、捜してみましょう。
そうそう、11月にはモンスーンカップってマッチレースがあって、早福も来るとか。車飛ばして見に行ってみようじゃないの。
また、再来年にはボルボオーシャンレースがシンガポールにストップオーバー。既に参加を表明しているケン・リードも「シンガポールで会おうぜって言っといて」って言ってるみたいだし。
まだまだヨットとは縁が切れそうもありません。

(2007/10/16記)

このサイトにはあまりオイラ自身の写真は出てなかったですね。左から3番目がオイラ。なんとなくメンドクサそうに乗ってますが、結構ちゃんと働いているのですよ。(photo by Y.Yabe))

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